BECKな雑感。

自宅不在でチェックできなかったBECK番宣関係の諸々を、某さんに送っていただきました。ありがたやv。
んで出演メンバーは文句なく可愛カッコイかったんだが、好みとして思うところはあったんでちょいとネガな雑感。
映画自体に対する不満ってわけじゃないんで畳みます。うん映画「BECK」はかなり好きだよ。



そもそもこの映画の情報がきた時点でかなりひいたのは、むしろこのメインが普段から安心してチェックしている好きな俳優ばかりだったからなんだよね。
俳優を見た目の良さとか滑舌の良さで評価している人にはピンと来ないかも知れないけど、シナリオに書いてないその役の存在感をちゃんと見せられる、そういうことができる人を私は“好きな俳優”として評価しているわけだけど、そういう人たちを集めてそれなりのものにはなるであろう、でもコンテンツとしてそういう“出来の良さ”を求められているわけでない作品でそれをやることは、仕上がりのクオリティに対して正当な評価を得られない、ある種ババを引くことにしかならないんじゃないかって気がしたから。
実際この映画のスタート時点で、彼等が普段の役とはイメージの違う役のビジュアルを忠実に再現できてることで、この仕事のババを引いた感が薄れる位の好評価をもらえた部分はあると思うんだ。私自身に関しても、この映画を好きな理由は、彼等がそういう“いつもと違う役”をちゃんと演っていた、という満足感な部分は大きいから。でもこの映画のプロモーションがそういう部分で展開されてないことで、「だったらBECKじゃなくても良かったのに」って思っちゃうんだよ。
「おしゃれイズム」のヒロたんが「過去最高の歓声の大きさ」とか紹介されていたけど、それは実際に歓声が大きかったかどうかじゃなく、ヒロたんを紹介する上でそういう「若い女の子に人気のある俳優である」ことがテレビにとっての彼の価値なんだ、っていうことだよね。それはヒロたんに限らず、私が彼等を“良い俳優”だと思うことより、彼等が“人気のある俳優”であることの方が、この映画のプロモーションにとっては大事なんだなと思うよ。でも私がこの映画を好きなのは、彼等が「良い芝居をしている」からなんだ。かっこいい人がかっこいいのは当たり前だけど、ある種そのかっこ良さすら気にならないくらい存在として自然だからなんだよね。
そういう点で、この映画の番宣の彼等が無駄にイケメン推しなのがなんかちぐはぐだなあって……。撮影から1年近く経って、認識としてBECKが“過去の仕事”であるくらい彼等が違う仕事を済ませてしまっている仕方なさはあっても、番宣の彼等からBECKの中にいるバンド少年の匂いはしない。そこにいるのは「普段と違う役を努力してこなしたイケメン俳優」であって、彼等が劇中にBECKメンバーとして存在したことより、彼等が撮影のために楽器の練習をしたことの方がプロモーションの上で売りになる、と世間が認識していることがすげー腑に落ちないの。役者が演技できても不思議ないから、役者が楽器で苦労したことの方が話題になるのは分かるよ。でもそれってその役を演じるためのスタートラインでしかないじゃん。楽器弾けなくてもそれらしく見せる方法はあると思うけど、この映画がそうじゃない撮り方を選んだんだったら、彼等がそれらしく演じるために楽器をやるのなんて当たり前だよね。彼等がそれをするために苦労したのは事実だと思うけど、この映画における彼等の価値はそこにあるわけじゃない。私は彼等の苦労を評価したいんじゃなくて、その苦労で手に入れたものを含めた役者としての仕事を評価したいのに、なんでこの映画の番宣はそういう切り口じゃないんだろう、というのがほんと分かんない。好きな役者がテレビでいじられているのは見てて楽しいよ。でも見てるとほんと、なんかこの映画のことを語る彼等がこの役を演じたように見えない、ひとごとみたいなのが気になるんだよね。
もっともそんなことは映画自体の評価とは関係ないからさ。映画の中の彼等はちゃんと彼等なりのBECKメンバーのとして存在している。むしろそっちの彼等の方が私としてはイケテル、というのが不満なのはあるかも、とは思うw。