インタ掲載誌2題。

GyAO Magazine/2010.12

GyaO Magazine (ギャオマガジン) 2010年 12月号 [雑誌]

GyaO Magazine (ギャオマガジン) 2010年 12月号 [雑誌]

+act.mini/VOL.11

+act.Mini. (プラスアクトミニ) 2010年 12月号 [雑誌]

+act.Mini. (プラスアクトミニ) 2010年 12月号 [雑誌]

ずっと言っていることだけど私がこの子を評価するのは、彼が私が追いかけてきた白倉ライダーの到達点としての“野上良太郎”という役を正しく演じたからで、その評価は憑依体を演じ分けた器用さに対してはそれほど重くないです。新人俳優の憑依体演技が作品を見る邪魔にならなかったというのは実はすごいことなのは百も承知で、私が健を好きなのは彼がそういう器用な俳優であることより、役づくりのセンスが自分の好みであることの方が大きい。だから健が自分の正しさを迷いなく信じてるような役に対しては、すげー盛り上がって見ちゃうわけです。
たぶんさ。電王の序盤で健自身、「ああこれって子供番組なんだ」と、一種良太郎の自分解釈を押しとおすことをあきらめた時期ってあったと思うのね。そこで「あきらめることはない」と言うことになったのが序盤の良太郎像を否定した舞原監督の登板で、それは逆説的な形ではあるけど、健に自分の正しさを信じる自信、自分の関わる媒体の持つ可能性を信じさせる結果になったと思うの。そういう自分の仕事に対する彼のビジョンの開花みたいなものが番組の勢いとシンクロしてえらいことになったのが電王のあの勢いであって、やっぱ良太郎が佐藤健でなかったら、あそこまでのことにはならなかったと思うんですよ。
役者っていうのはほんと特殊な仕事で、センスがあっても表現力がなければあんま意味ないし、でもセンスがなかったら表現力を養う足場は絶対見つからない、という種類の仕事だと思うんですわ。そういう意味で、私は健が私好みのセンスを持つ役者であることを神に感謝する。いやマジでw。
インタビュー自体はそう面白くもなかったけど、インタビュアーが誰であっても健の論旨は伝わるなあ、という点で面白いインタビューではあったw。