伸ちゃん555以降@萌え者視点

電王開始以来手のひらを返したように毎週楽しんでいる俺、参上。
まあゲストがみんなろくなもんじゃないとか、はなしの核がゲストのトラウマなので前編が毎週煮え切らないとかの不満はあるけど、その煮え切らなさを後編で解決するそのやり方が非常に好みで、トータルにはなんの不満もない。
たぶんその理由の一番は、良太郎をはじめとするキャラの性格が好みだからなんだと思うけど、考えてたら伸ちゃん萌えの私ならではの理由が見えてきたさ。

カブトを見て電王を見てみると、555、龍騎というのは主人公が己の正義について逡巡するはなしだったんだなあ、と思う。
というか伸ちゃん的にそういう風に位置づけて、逡巡するのをやめるはなしにしているのがカブトと電王なんじゃないのかな、と見えて、カブトというのはその逡巡を真っ向から否定したからこそ「俺が正義」であり、天道は一切迷わなかったんだな、と。
迷わなかったのは天道だけじゃなく、番組的に一貫して未熟者と描写された加賀美だって、正義として自分がなすべきことに迷うことはあっても自分が正義であることは疑わない。555以前の定番だった自分の行動が正しいのかという葛藤はカブトでは一切排除され、矢車さんなんかその葛藤をすっ飛ばしてわけ分かんないまま闇に落ちてるw。
物語的にはいつもの展開に見えたひよりを巡る天道の迷走も、視聴者の誰が見ても間違ってたにも関わらず、物語の中では誰にも間違ってるとは言われてないんだよ。
自分にとっては白倉ライダーでもっとも愛しいものだった主人公の逡巡を真っ向から否定したカブトが、一貫して私の神経を逆撫でるものだったのはそりゃ当然さ。

で、電王というのはその逡巡を目の前の現実に対する立ち位置の曖昧さと位置づけて、その曖昧さを肯定しているはなしだと思うのだね。
良太郎にははじめから自分の正義に対する気負いがない。この運命も19年(良太郎の設定はタケちゃんの1才上らしい)の人生で常にあった不運のひとつと普通に受け入れた上で、ハナのいう「時の運行を守らなきゃ」というのは自分の責任で果たさねばならない義務なんだと認識してる。
その中で関わる人への対応は、たまたま自分のところにきたキーホルダーはこの間会った男の子が大事そうにしていたものだから返してあげたい、という自然な感情でしかないんだね。
良太郎の行動は天然で利他的であると同時に、「自分はどうしたい」という点で天然に利己的だ。最初のエピソードでもハナの制止を華麗にスルーして、テツオを母の死に間に合わせている。
山越の件だってオーディションに間に合っているけど山越の“現在”は別に変わらない。「あの時ああしていれば」とずっと心にかかる劇的ポイントは誰の人生にもあるけど、そこでどうしたかなんて、自分が自分でしかない以上実は変わらないんだよ。だけどそのささやかな変化で、少しだけ心の荷物が軽くなったら楽に動けるようになるよね、というそういうはなしなんではないのかな。
どう見ても扶養家族キャラに見えた剣ですら20才だったことから考えて、良太郎が10代なのは「この子は子供」という伸ちゃんのこだわりなんだと思う。良太郎は前提として与えられた“子供”という属性によって、あらかじめその行為に求められる思慮分別は割り引かれていると思うんだ。

もちろんまだ始まったばかりの今の時点で今後はなしがどう転がるかは分からない。
靖子にゃんは世間的には鬱展開の頂点に立つ女らしいので(w)、今後鬱に転がるだろうというのが世間の大勢らしいのも知っているw。
でも個人的には多少のことはいいじゃんいいじゃん、と良太郎にスルーしてもらって、このまま行って欲しいと思うけどなあ。良太郎はそれができる強さはある子だと思うし。<良太郎の芯の強さに関しては、私は1話の時点から揺るぎなく描写されてたと思ってるんで。

555で巧が悩んでたことに、「仕方ないよ」とか「そんなの気にしなくて良いじゃん」とか、私は言えないな、と思うんだ。でも、言えないけど傷付かないで欲しいとただ思った人間には、電王の曖昧さはすげー救いなんです。うん。