良太郎の正義

まあ伸ちゃん萌えブログとしては“正義”といってしまうのもびみょーなんで、ヒーロー性でも動機でも良いんですが。

先週ピアノマンの消滅を受けて新局面を迎えた良太郎の自我ですが、良太郎の認識はたいていそうなんだけどこれもズレてるんだよね。先週のエピでウラが言ってたけどあのおじさんはもともと「世界と繋がっていたくない」人で、ある意味世界にいることの方が間違ってたんだよ。それでも一緒に描かれた奥村さんの方はちゃんとまだ世界を認識している人だから、おじさんと知り合ってピアノを弾いて、逃げ出そうかと思った世界に戻るつもりになったからおじさんのとこにもチケット持って迎えにきたんだけど、おじさんの方ではもう奥村さんのいない世界は自分と関係ないし、とっくに世界との縁は切れていたんだ。
でも良太郎は子供だから人間は世界と繋がっていたいのが当たり前で、そんな風に消えちゃう人がいるのが耐えられないんだよね。この辺りは馬鹿っプル編の優美とのシーンの描写にも通じるけど、自分の信じる“良き状態”を拒否する人がいるのが耐えられないんだよ。まあ優美の言ってることは「甘えてんなよ」ってはなしでしかないんだけど、世の中には愛理みたいな状態の人もいるし、人にはそれぞれ事情があるからなにが幸せかなんて分かんないんだけどさ。もちろん逃げたいから逃げて良いわけじゃないし、「逃げちゃダメだ」はヒーロー的には正しいんだけど(w)、良太郎はそういう主張で世界との繋がりに固執するわけじゃなく、そういう風に世界との繋がりを拒んでしまう心もあるってことが分からないんだよね。一緒にキレてたウラの方はそういう想いがあるのは分かった上で、世界を拒んだ人がほんとに消えてしまうことこそ受け入れがたいって感じなんじゃないかと思うんだけど。

東映公式が最近“9月展開”って言葉を使ったけど、ライダーの9月展開って主人公が“自分の知らないこと”を知ることで、自分が戦ってきた動機では戦えなくなるんだよね。龍騎なら真司が主張してきた「ライダーバトルをやめさせる」ことを言い張れなくなるんだし、555なら「戦うことが罪なら俺が背負ってやる」と言い切った巧が、オルフェノクを殺してしまうことができなくなってしまう。
電王では良太郎という軽薄でもないけど思慮深くもない少年が、それでも自分の長くはない人生で学んでいる「過去の時間のすべてが大切なんだ」という実感のもとにわけが分からなくても自分にそれができるのならと電王として「時の運行を守る」という使命を引き受けるんだけど、良太郎には同じように自分の経験から「心残りがあるならなんとかしてあげたい」って気持ちがあるからつい過去の時間でフラフラよけいなことをしてしまうわけで、それは良太郎の優しさなんだけど動機は「自分がそうしたい」という利己心なんだ。
それを指摘するために出てきた侑斗に「時間を守ることは人助けとは違う」と言われても「僕では不十分だとしてもそれは僕がなにもしない理由にはならないから、僕は自分にできることをする」と否定の否定という形ではあっても現状続行の自己肯定していたことの結果が先週のピアノマンで、それは「こぼれてしまうものはある」できっと今までもあったことなんだけど良太郎はそれを知ってしまった。今週の良太郎の行動って、漫然と自分を疑わなかった自分への怒りなんだよね。
同じようにある“良太郎の知らなかったこと”がゼロノスが戦うリスクで、良太郎はそういうカードの代償を知らないまま侑斗を戦わせてた自分にも怒ってるから「僕が戦う」で、そもそもゼロノスが戦っていたこと自体が「自分では不十分だから」だから「そのためにももっと強くなる」で今週の行動があるわけでしょ?
だからキンタに良太郎の強さを説明されて、たぶん自覚のなかった自分の強さとかタロズが自分に従ってくれてた理由に納得しても修行をやめることには納得しないで「もうちょっとやらせて」と修行を続けるわけで、あちこちで指摘されていることではあるけど、そういう風に自分のできることを底上げしようと思い続けることができるのがほんとの良太郎の強さなわけで、良太郎の「僕にできること」っていうのは「できることをやれば良い」じゃなく「できることはもっとあるはず」ってことだと思うんだ。
そういう風に9月展開を迎えても戦えなくはならないところがある意味良太郎の強さだなあと笑っちゃうんだけど(w)、良太郎って確かにずれているしあさはかだし強情だし利己的だけど(そこまで言わんでもw)、「人が悲しむのを見るのはイヤだ」という子供っぽいけど強力なわがままが良太郎の戦える動機だし、良太郎のヒーロー性だと思うんだよね。利己心と利他心ってしょせん地続きで、区別したってしょうがないものだと思うからさ。