批判するということ

コミログなるサイトの『失踪日記』ロングレビューに関するid:matuokaさんとのやりとりがネットの話題になっているようです。

私はヲタ文化は全般的にツボに入りやすい趣味嗜好の人間で、かつ漫画界で最も吾妻氏の評価が高かった時代にはヲタ文化の真っ只中で生きていましたから個人的には吾妻氏大好きですが、当時から氏の作品が「分からない人にはなにが面白いのかまったく分からない」漫画であろうことは感じていましたし、「失踪日記」はそのモチーフの選択からしてさらに読者を選ぶ作品だろうとは思うので、「失踪日記」を「面白くない」と断ずる感想が存在することは無理からぬことであろうと思います。
ただそう思っていても問題のレビューが「それにしたって感じ悪いな」と感じさせるものなのは確かだし、その理由は執筆者の石舘氏がmatuokaさんのコメント欄に残したものが全てだと思うのです。
他人のコメントをそのまま否定的に引用というのは道義上どうかと思うので避けますが、この石舘氏の2件目のコメントを要約するなら件のロングレビューは「俺、これのどこが面白いのか分かんないわ。ごめんね」で良かったということですよね?
だったらそういえば良いのに方法論の不備のせいにして、リアリティがどうこうとかコミカルがどうこうとか偉そうに並べるから感じ悪くなるんでしょうが。

個人のブログを含めてなんらかのものを他人の目にさらすなら「つまらない」と言う評価は甘んじて受けるべきです。
しかし「俺がつまらないから俺の好みに合うようにしろ」というのは明らかに変でしょう。
吾妻氏の経歴を無闇にありがたがる必要はありませんが、これが好みに合う人間が少なからず存在するという事実が「あの吾妻ひでおが」という冠詞にかかっているんです。
あと「あの吾妻ひでおが」失踪生活の悲惨さを語るために己の作風からあのシュールなコミカルさを排除した「失踪日記」を発表したら、私は相当彼の漫画家としてのアイデンティティを疑いたくなったと思います。
「死ねばいいのに」とは言いませんけどw。

石舘氏がつまらないと思ったことを責める気はないのですが、分からない作品は取り上げなきゃ良いんじゃないですか?
コミログってコミック購入検討のためのサイトなんでしょ? いや。抑止目的のためのサイトなら別に今のままで良いけど。

自分でも否定的なレビューを書く時には特に気をつけなきゃいけないと思っているんですが、「なぜこれが面白くないのか」を考えた時に「自分のツボに合わない」がほんとの理由である時に他の理由にすりかえて他人を無能呼ばわりするのはとても失礼だと思うんです。
その関連でしつこく「繋がれた明日」3話関係を語っていたんですが。
個人のブログで自分の好みを語ることまで自重してたら書くことなくなっちゃうけど、それを他人の無能にすりかえるのが不快だというのは送り手への気持ちもさることながら、実は自分の理解力の欠除が原因であることを露呈させている場合がしばしばあることに無自覚な受け手(=自分はこちらの一人だという自覚はある)のレベルを見るのがなんだかなー、ってことなんですよ。

自分も含めてブログ書くような人って言い負かされるのを異様に嫌う人が多くてコメント欄って無駄に殺伐としていることがあるんですが、matuokaさんの最初のエントリは本人も書いてるように「こんな風に受け止める人がいて悲しい」というものだったと思うんですね。
自分ちのコメント欄に「どうもどうも」しか返さない人がわざわざ言い訳しにきた理由がどうにも……。(しかも自分がまったく分かってないことをダメ押しするものでしかなかったし。)

まあ他人の作ったものを否定する時には気をつけようと思います。