ああくそう。納得いかねえ

一昨日はああいった影ちゃんの最期ですが。

思ったんだけど、影ちゃんがいつものように「うわーん。兄貴助けてよー」と泣きつけば、矢車さんは黙って一緒に旅立ったと思う。

でもそしたら影ちゃんはこの先もずっと見捨てられる不安を抱えて生きていかなきゃならない。今までですら見捨てられることを極度に恐れていた子が、もはや人間ですらない自分を受け入れてもらえると信じることができるとは思えない。だからこその絶望であり、死を望んだのだということは納得できる。こんな時ばっかりずいぶん決断が早いじゃねーかとか、ワームといってもネイティブなんだから今のカブト世界で追われるわけじゃないのにとかは、「まあ最終回は来週だしね」で許容範囲(つってもここらが一番むかつくといえばむかつくけど)なんだけど、それは結局この二人がこの先も変わらない絆が自分たちにあると信じなかったってことにならないだろうか。

なかった、といっているわけではない。あったからこそ兄貴は殺してくれという影ちゃんの願いから逃げなかったのだし、もの言わぬ影ちゃんに永遠を誓ったんだ。けれど「おまえがなんだろうと、俺たちは永遠に兄弟だ」と生きている影ちゃんに兄貴がいえたかというとはなしは別になる。無茶な理想を口にすることは、自分がその理想を求められる人間だと信じてくれということだ。そして兄貴はとうに、それだけの自信に満ちた人間だと描写されていない。

放送後「ああこれきっついなあ」と思ったのは、公式のインタビューでうっちーが「できれば戦って死にたかった」と言ってるのを読んだ時で、ライダー世界の死が傷ましくても納得できるのはその死が青臭くても理想や信念のためのものだからだと思うんだ。その点影ちゃんの死は私には絶望の果ての自殺にしか見えない。「生きていてもつらいだけだろう」という点では剣と理由は同じでも、剣にはワームを倒すという信念があったのに対し、「もう見捨てられる不安に怯えることはない」というネガティブなレベルでしかその死を肯定できない。
たとえば根岸の企みで自分がワーム化したことを知り、三島が人類を裏切ったことを知って怒りで襲いかかり瞬殺される、とかならたとえ無駄死にでも男として一矢報いようとしたんだと思えたと思う。
時間ないのも分かるんだけど、結局影山スレ兄貴たちの悲願だった影山の成長は、制作側は頭っから度外視だったんだなあ、という点がなんだかね。

例えば龍騎のインペラーやタイガのはなしならあのやりきれない結末もライダーバトルの悲劇を描くためと分かるし、このエピソードも根岸たちネイティブの企みが生んだ悲劇なのだから、兄弟的においしい展開だった、という事情は分かる。でもカブト世界の矢車想影山瞬、という人格の気持ちを考えた時、特にこの先兄貴がどんな気持ちで生きていかなきゃならないんだと思ったら可哀想でしょうがなくて、結局なにが納得いかないかというと、
「私はこんな結末を見るために、兄弟の幸せを願い続けてきたわけ?」というのが。

だったら「おまえがなんに変わろうと、俺たちは永遠に兄弟だ」とノルウェーでも南極でも旅立ってもらって、「あのかっこで行くの?」と突っ込んでる方が視聴者的には納得行くし、そのくらいのぬるさの方がカブトには似合うんじゃないの、と思ってしまうんだ。真冬にノースリーブで路上生活してる人たちで物語世界を回しておいて、そこだけハードなリアリティのちぐはぐさがさあ。

なんかやりきれない。