お正月。

えー。お正月の日記を[takeL]カテゴリで書く己の人生を春から考えてしまうんですがw。
当初の予定ではK-20の3回目に挑むつもりだったんですが(まだ見るんかい)ちょっと家関係で邪魔が入り、しょうがないので家でウダウダしてました。初レビューなんにするかなー、と思いつつ、ネットにある健関連動画を見始めたら止まらなくなってすっかり見耽ってしまった俺、惨状orz。
ただうちをずっと見てくださってる方ならご存知でしょうが、電王が円満な形で決着を見たことで伸ちゃん絡みで成仏してしまった私の(これは厳密にいうと、私が成仏したというより私の中の伸ちゃんが涅槃に至ったってことだと思うんだけど)モチベーション(別名煩悩)って今は健だなー、と思うんですわ。
それは伸ちゃん語りをメインにしていた頃の私にとっての「伸ちゃん」が「ヒーロー特撮」と近似だったようなもんで、今現在の「健」ってある種最近の私が興味を持っているようなテレビ文芸とかエンタメと意味として近似なんですね。今現在直接健が関わるようなものでなくても、この先のやつに関わってくるようなものとしてそれらの在り様を考えちゃうというか。
実際去年はそれらに関して天国と地獄を見たなー、と私が思う天国ってROOKIESだし地獄ってブラマンだし。でも健中心で考えたら、視聴者としての私にとっての健ってROOKIESもブラマンも変わらないし、単純に拘束時間や報酬という意味での“仕事”として見るなら、デビュー以来ほんとに体がヤバイ時しか日記で愚痴を書かなかった健が連日きついとこぼしてしまうくらいきつかったROOKIESの現場より、ブラマンはずっと“割りの良い”仕事だっただろうとは思うんですよ。
でもここ数年テレビ文芸に興味を持って自分なりに語ってきた目で見たら、 作り手が見せたいものを意志的に選んで、キャストもスタッフも揺らぎなくそこを目指したのだろうと思えるROOKIESの現場が健に残したものと、結果的に原作エピソードを2時間ドラマとして見せるだけならそれらしく騙せても、トータルな10何時間のドラマとしては完全に破綻していた理由を、「作っている方がそれで良いと思っているからなんだろう」としか思えないブラマンの現場で健が得たものを同じには考えられないんですね。ブラマンレベルのひどさなんかドラマとしては珍しくもないし、プライムのドラマの3番手として顔を売ったことで増えたファンとかそういうものは健のポジションを確実に上げたのだろうとは思うけど、長く私の興味の中心だったシラクラライダーを円満に決着させた功労者としての感謝を持って見ている相手が関わる仕事がああいうものであることが理屈でなく不満なんですわ。
実際私は人のこと気にしないし、健に関しちゃファンイベントの興味もあまりないんで人気のレベルってほとんど分かってなかったというか気にしてなかったんですが(w)、ここ数日ちょっと見回ってみたらけっこうすごいことになっててあらびっくり、って感じなんですがね。検索でうち引っかかってるよ、めんどくせーなー、みたいな(笑。
例えば私はおぐりんをすごいと思うし春馬君を天才だと思うわけですが、だからっておぐりんが出てるから全部見なくちゃとか思わないし春馬君の現時点での仕事がすべて満点だとか思わなくても、見る時に彼等に関しては「これだけすごければ十分でしょ」と思うわけですよ。だって彼等いくつだと思ってんの。まだまだ役者として先があるのに、今から完成してたら本人も楽しくないだろw。
そして彼等まで行かなくても、健以外の役者に関してはその仕事を割り引いて見てる部分はあると思うし、それは“そこまで気にならない”からなわけですね。なのに健に求めるものが贅沢になるのは、ある程度の評価基準のある人なら好きな役者とそれ以外の役者を見る目ってそんなもんだと思うんだけど違うかなー?
たぶん過去ログまで遡っても私は健のこと「演技力がある」と言ったことってないと思うし(あったらスマン)、私が健に関して言ったのって電王初回感想で「うまくはないけど達者」って言ったのが最初だと思うけど、それはわりと今でも変わらないのね。どう見せることを求められているシーンかの理解力があるってことだけど。そういうところで、その見せ方を極端にすることを許される特撮ならともかく、ある程度リアル路線のプライムのドラマでは理解したものを見せる見せ方が追い付かなかった部分があるというのは去年感じたし。
なんていうかさ。テレビドラマや映画のできがどうだろうとおまえになんも関係ないだろ、っていうのはまったくその通りだし、私だって忙しい時に無理して見たりしないけど、そういった映像作品に限らずあらゆる創作物が、なぜ良いと思われるのか、どう気持ちを動かすのかということって、絶対に語られないといけないことだと私は思うんだわ。だってこういう見たってお腹がふくれるわけじゃないものの存在意義って心を満たすことでしょ? だったら見ることで心が満たされるようなものじゃないなら意味がないじゃん。
というわけで。今年も興味が続く限りこのブログで、ここが美味いあそこが不味いと言い続けたいと思いますv。