イノウエトシキ/ヨネムラショウジ

id:hissy555さんのカブト42話のレビューにコメントした後なんだかもやもやしてまして。米ちゃんと敏樹さんの脚本になんか違いがあるのは分かるけど、それは性格の描写力じゃないと思う、でも“けれん味”とか“はったり”で片付けちゃうのもたぶん違うよな、と。
ドラマの感想書くようになって真面目にドラマを見るようになると、脚本家それぞれ自縄自縛に陥りかねないほどにこだわる部分はあるもんだなあ、と感じることは多々あって、米ちゃんの場合それが“キャラクターの性格”なのはわりと早くに気付いたというか「サヴァイブ」見てた時から(悪い意味で)感じていたことだったので、カブトでそれが悪く出ている気がし出しても「ああ、やっぱり」としか思わなかったんですが、敏樹さんのこだわる部分ってなんだろうと考えても特に思い付かなくって“作劇上の見せ場”とかいうてたりしたけど、敏樹さんも明らかにこだわり過ぎてやらかしてることあるもんなあ、そんなクールなことじゃないよな、でもたぶんそこが私にとって決定的な、“カブトにハマれない”理由なんだよな、とグルグル考えていたんです。で、先日「ああ、敏樹さんのこだわりって“対人感情”だ」と思い付いて。
たっくんがオルフェノクを信じたいと思ったばかりに死なせることになった真理を助けるために自分の正体を明かして殺されることを望んだり、エゴの固まりのような草加が自らの死を顧みずに変身したり、斬鬼さんがトドのそばにいるために禁術を犯したりのそういうのって全部、「相手をどう思っているか」ということから発した行動だと思うんですね。人間の行動を決めるのって性格もあるけどそれ以上に、関わる相手のことをどう思っているかというのがあるわけで、思い入れゆえに時に“らしくない”行動に走る熱さに共感できれば“燃える展開”になるし、そうでない人には“設定無視のグダグダ”に見えるんだろうと。
その辺りで比べれば米ちゃんは明らかに対人感情の描写力が弱くって、“どんな人”というのは描けていても一人一人に対する温度差が描けてない。天道の暴走に同情する意見が少なかった背景には、天道の魅力が俺様な完璧超人ぶりとして描かれていたことによる違和感もさることながら、そもそも天道がそこまでひよりだけを大切にしていたように見えなかったことがあると思うのですよ。確かに天道のひよりへの態度と樹花への態度には記号的ともいえる類似性はあって、気をつけて見れば「ああ」ってものではあるんですが、単純に考えてもずっとそばで見守っている妹と、18年ぶりだか7年ぶりだかに存在を知った妹なら、その態度には温度差があるのが当然であって、やはりここは物語の最初から、「なんだよー。気があるの?」と誤解させるくらいの熱さで“ひよりは特別”をアピールしておくべきだったと思うんですね。だって天道の“ひよりは特別”なんて、じいやへの態度といくらも変わらなかったもん。美味いもん食わせてくれるから大事にしてるんだと言われても納得できるレベルだったよw。

今週「これはないだろ」と思った場面に田所さんがホッパーズに「来てくれたのか」と近寄る場面があって、さんざん横の情報の伝わってなさをつっこまれてきたZECTとはいえ、共にZECTを放逐された矢車さんと影ちゃんがあのなりで(!)現れてなんで力を貸しにきたと思うんだと。その後「ZECTに戻ってシャドウを率いてくれ」とザビーゼクターを見せる場面なんて、影ちゃんの性格を見越して兄弟の決裂を促す役割を田所さんに振るのかと腹が立ったくらいなんですが。いっそあそこは三島が「ザビーに戻るのなら、もう一度お前にシャドウを任せよう」と悪役オーラバリバリで影ちゃんを誘惑してくれた方が不快感なかったくらいの場面でしたよ。米ちゃんの脚本って過去にもそういう「なんでこの人がこんなことを?」みたいなキャラの関係性が抜け落ちた描写があちこちにあって、キャストの都合で別の人物に出番を振られた可能性を考えに入れて大目に見ても、無神経だなーと思うこと多かったんですよね。

11話の感想に書いてますけど、もともとカブトの敏樹さんの役割は少なくとも初期の段階では“変に落ち着いた気になる”キャラの人物像と関係性をリセットすることだったと思うんです。公式で“ポエム”と突っ込まれてたけど、加賀美がザビーの資格を捨ててつかんだものってそれじゃなにさ?ってはなしで、米ちゃんの脚本って語らずに分かった気にさせる部分があまりにも多い。それは必ずしも悪いことじゃないけどじゃあ実際こいつらはお互いのことをどう思っているんだ、っていうことになったら、カブトの核である天道と加賀美の関係ですら、自分の解釈が脳内補完をせずにドラマの描写のみから導き出したものだと言い切れる人っているのか?と思うんですね。
1年続くドラマってある意味大河とライダー、戦隊くらいのもんで、でも大河のストーリーとしての(特に終盤の)グダグダぶりを見れば分かるように、人って辻褄の合うような生き方なんかそうそうできないものだと思うんです。あっちは史実というものがあるからグダグダでも文句言われないのですが。
なぜ辻褄の合わない行為に走ってしまうのか。−−それを見せるのがドラマ性だと思うし、そこを見せてくれるから、敏樹さんの脚本ってやっぱ燃えるんですよね。

残り1か月ほど。米ちゃんにも燃えさせてもらいたいものです。