終戦特集ドラマ/15歳の志願兵

http://www.nhk.or.jp/nagoya/jyugosai/
脚本:大森寿美男 演出 - 川野秀昭
原案 :江藤千秋「積乱雲の彼方に ‐愛知一中予科練総決起事件の記録」
終戦記念日恒例の、NHK終戦特集ドラマ。元ネタは昭和18年の愛知一中予科練総決起事件。
GMとどっちを選ぼうかなあと思いつつ、脚本が「風林火山」や「風が強く吹いている」の大森寿美男で、題材がNHKの得意な高校生世代だから、とこっちを選んだんだけど、ドラマの作りで損したはなしだった。
主役の正美が「とめはね!」の池松壮亮だったんだけど、序盤でかなりボリュームのある台詞を言う光男役の太賀(映画バッテリーでヒガシの役をやった子)で、この子はそんなに下手だとは思わないけど、少なくともあのボリュームの長台詞を退屈しないで聞かせられる子じゃないです。戦況への疑問とか自身の境遇、母親への気持ちと自分自身の夢、という、このドラマの肝とも言えるアンビバレンツを、なんでこんな「聞かせられない子」の長台詞で一気に演説しちゃうんだよNHKが、と思ったせいで、相当視聴の期待は薄れた。
「なんでこんな演出?」と思ったら、演出の川野秀昭さんってNHKのラジオドラマシリーズ青春アドベンチャーの人なのね。だったら分かるよ。でもこんな映像の意味のない演出、テレビでする意味ないよ。
私は基本的に、10代の子供に演技力とか期待するのが間違い、その役にはまる柄の子を選んで、上手に切り出してあげるのがスタッフの仕事、と思ってるんでこのドラマは作りでNGです。長台詞以外はそれなり良かったのに、私に戦犯みたいに言われる太賀君が可哀想だ。志願したのに落とされて光男を見送る正美の池松君の表情をとらえる見せ方とか良かったし、それが本来の少年主役ドラマの作りだろうと思うもん。出演者のほとんどに長台詞しかないこのドラマは、テレビの手法として間違っていると思いますw。
歩けないほど弱った旦那を連れて、一中の英語教師である正美の父親(高橋克典)の家に乗り込んでくる濱田マリとかは良かったが、マリちゃんの役はNHKのアンケートでは(○○○○の母親)ってなってるけど、その○○○○がどの子かっていうのは番組見ても分からないんだよね。展開見るに、序盤で光男を殴ってた5年生じゃないかと思いますが。
この事件って700人の生徒が全員行きますってニュースになって、それで実際に行ったのは15人ほどっていうのは、そもそもニュースになったこと自体が他校への宣伝効果だったりしたんだろうけど、それでも自分の友達だった子が15人死んで、自分は「行くと行ったのにいかなかった」子が680人ほどもいるわけじゃん? その中には総決起をぶちあげた5年生(彼等が一人も行かなかったという事実は重いと思う)とかもいるわけで、こういうの、今から見たら発想自体が間違ってるけど、彼等にしたら大真面目な情熱だったんだろうから、そこに“挫折した”残りの人生とかつらいと思うもん。
光男の母に言われて正美が読む日記帳が、最初の数ページ使っただけで残されていて、その残りのページは彼等が生きられた人生の可能性なんだろうけど、こういうドラマってそこに描かれた事実だけで重いから泣けるけど、だからこそ思い入れがなくても面白く見られる作りを目指していかないと駄目だと思う。