夏の終り

夏の終り [DVD]

夏の終り [DVD]

監督:熊切和嘉 脚本:宇治田隆史
プチブレイク以降「なんで綾野君に来たのかなー」と苦笑いするお仕事情報も多い中、「ああ。綾野君ね」とキャスティングされたことに納得する点ではトップクラスの映画であり、できあがったもののはまり具合でもなかなかのもんではあった。しかしそういうこととは別に、綾野剛ファンとしては木下涼太という存在の脇役っぷりに一種呆然とするはなしである。
出番がないってはなしではない。以前私は「最高の離婚」の感想で、「上原諒は潮見さんの恋物語の脇役だったのだ」ということを書いた。ここにあるのはそれと同じ物語の構造だ。これは相澤和子(満島ひかり)と小杉慎吾(小林薫)の物語であり、涼太は和子の物語の脇役に過ぎない。和子はふたりの男の間で揺れ動いたのでなく、慎吾が自分だけの男でないことに納得する自分と、それでは満足できない自分の間で揺れ動いたのだ。だって和子が一度でも、涼太に愛されたいと思ったことなんかないと思うもん。
妻と別れ新しい土地で仕事を得て、かつての恋の相手を訪ねる涼太のジレンマ自体は分かる。口ばっかりで思い込みが強くて、“純粋”で片付けるには年を取りすぎて滑稽だけど、和子の相手が自分でないこと以上に、和子が自分の思う和子でないことが許せない身勝手な人物像は、充分にリアルである意味典型的な純文学の青年像だと思う。でもこの映画においてその涼太のジレンマはまるで意味がない。主人公の和子に、涼太に寄り添う気持ちはまるでないからだ。
撮影時期がどうだったかは記憶にないが、見ていて最高との物語構造の類似がやたら気になった。上原諒が潮見さんの物語の脇役だとしても、あのドラマが「真剣な恋の相手の物語の脇役をやらされて、自分を肯定できなくなった男の物語」にそれなりの筆を裂いた以上、あの物語はそれなりに感情移入が容易いものだったが、正直涼太に感情移入するのは難しいと思う。だって涼太に感情移入したら和子を糾弾するしかなくなるからさ。
てか、私がそういう風に感じるのって、私が和子視点で見ちゃってるからってだけなのかなあ。でも和子が涼太を切り捨ててしまわないのって、慎吾の愛の量では不満で、それだけしか愛されていない自分を愛している人間がちゃんといるということを捨てられないからだとしか思えないんだもん。和子の涼太への感情って、まず慎吾への感情があってのことじゃないかなあ。自分でも言っているように、涼太の愛を利用してるよね。
特におはなし的な盛り上がりがあるでもなく、感情の爆発でなにかが変わるわけでもなく、結論を先延ばしにする人たちの、そうせざるを得ない気持ちの揺れをある意味だらだら描いた映画で、作品としては薄味な感じもする。でもそのだらだら描かれた物語のその時に、それぞれどんな気持ちかを考えるとけっこう深いよ。個人的に、涼太への気持ちを告白した和子を、元夫(小市慢太郎)が何度も頬を張るシーンが大好き。
満島ひかりはこの役にはあまりにも若いんだけど、和子って精神的に若いんだと思うんだよね。わかいっつーより幼い。幼いから正論で他人を糾弾することが平気なんだと思う。
しかしこのはなしの満島ひかりの可愛さはスバラシク、私が涼太の存在感を過大に期待したのって、予告の彼女がを可愛すぎたからに他なりません。たいして好きでもない相手に、あんな顔して見せちゃ駄目だよ。涼太も誤解するって。
あ。誤解のないように言っておくが、涼太の綾野君はかなり良いです。満島ひかりも言っているように難しい人で難しい役で、でも実際のところなんで和子が涼太を選ばないかって、「こんな難しい人と一緒になんかなれないわ」ってことだと思うんだよねー(^_^;w。
そんな難しい人間であることに説得力があるからこそ、しょせんこの程度にしか愛されていないことの残酷さにちょっと呆然とするんであって。
つっかこのはなしって、小林薫の慎吾の可愛さが素晴らしすぎて、「そりゃこの人とは別れられないよね」と思わせられるのが説得力のすべてですw。
登場人物の支離滅裂さのわりに映画としてまとまって見えるのは、美術と衣装がすごい良いせいだと思う。絵として圧倒的に美しいから、誰にも共感できないことにイライラしないんだ。それは監督の撮る絵も含めてね。
役者のファンなら買って損はないと思う。それだけでも買う価値のあるメイキングに関しては、もう眠いんでまた書きますw。