響鬼終盤のドラマ性について

直美ちゃんのシーンで井上脚本について書きはじめたら長くなったので、ここだけ独立。
直美ちゃんのキャラは井上氏の幼女キャラのパターンなわけだけど、この場合は直美ちゃんの発言がヒビキさんの言葉とクロスして明日夢の決意を引き出すためのものだったってことで正しい選択だと思う。
敏樹様のシナリオは好みを大きく外れて頭を抱えることもままあるんだけど、米村氏登板以降のシナリオはほんと良くできてる。たぶん終了後に好んで見るのはこの辺りになるだろう。むしろ雑音が気になってはなしに没頭できなかった放送中より、素直に楽しめてしまう予感。
好き嫌いがあるのは仕方ないとしても、技術的に非の打ち所はない。むしろ「アラなんか作ってたまるか」という意地を感じるのは私だけだろうか。登板直後の新キャラ登場回と独立ぎみのギャグ回をさらっと流した後ひと休みして、その間に最終回までの流れを一気につめたんだと思うがどうなんだろう。
ザンキさんやトドのキャラが変わった、無駄死にだ、というけど序盤からザンキさんはある種の危うさを感じさせる人で、だからその筋ではあっとー的に受けキャラ認定されてたんだと思うけどなあ。私自身はその手の二次創作でザンキさんを腑抜けた女々しいキャラにされたら眠れないほど腹が立つのは必至なので、近寄らないようにしてたから知らないけどw。
理想的に見えて「共依存じゃん」と突っ込みたくなる弦師弟。
鬼の家に生まれて挫折も知らずに人を導くイブキ。
器が大きいように見えて、まともに他人と関わることすらしないヒビキ(それこそ、ずっと付き合ってきた明日夢を名前で呼ぶことすらしないくらいに)。
素直そうなのは見た目だけで、勝手に他人の思惑に先回りして自分のしたいことすら探せない明日夢
そういう「これをいいはなしって言うのはちょっと違うんじゃない?」という要素を拾い出して、ドラマチックに構築したのが響鬼終盤だというのが私の意見。好きなキャラが死ぬのは嫌だとか、負けるのは見たくない、してきたことをあきらめるのは可哀想だ、って気持ちはみんな分かるんだけど、くせのないキャラが青年団レベルでなれあってる芝居を延々続けるより、複雑な芝居を求められる終盤の方が役者もやりがいがあるだろうし、やらしい言い方をすれば今後の仕事にもつながる気がする。
私自身もケガ以降の演技で、役者としての川口氏を見直した口だし。
製作期間も長く、主要キャストのほとんどが素人レベルであるにも関わらず、役者に委ねられる部分の多いライダーシリーズの現場が特別なのは周知の事実で、今年は演技経験の多い人たちだった分そのレベルが高くて、そういう役者への敬意があるから年間見続けることに迷いはなかった。
だからこそ、役どころが不満だからって放送中の作品をおとしめるのは大概にしたら?、って思うわけです。それ、役者にすごく失礼だと思うよ。