龍馬伝/第21話「故郷の友よ」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/index.html
演出:渡辺一貴
1863年。龍馬28才、以蔵25才、武市32才、弥太郎29才、久坂24才(生年より単純計算)
なんだかはなしが不愉快っていうか、龍馬(福山雅治)が武市さん(大森南朋)や以蔵(佐藤健)を心配してる、というアリバイを作るだけのはなしに見えるのがなんともかんとも。だってものすごく心にかかることがある時って、いつも頭のどこかにそれがあって、心から笑ったりとかできないもんじゃん。龍馬見ててそこまでの気持ちがあるようにはちょっとねえ。
帰還の命令に応じないなら脱藩と看做すっていう土佐藩に対し、帰ることは許さないという勝(武田鉄矢)にしても、彼等にだって故郷に親兄弟いるだろ? 脱藩したら家族はお家おとりつぶしってはなしは龍馬の時にしてるし、それを気にしないで勉強してろって言われても、そんなお気楽なわけにいかないよふつー。
なんていうかさ。自分のしたことを間違っていたと思うってことと、自分のしたことが間違っていたと世の中に思われてることを認める、って、似てるけど違うと思うのさ。武市さんが外国に対して弱腰な幕府は間違ってる、帝を戴いて外国を追い払おう、と思ったことを間違っているとは思わないと思う。たとえ容堂公が収二郎を死なせ、自分も罰しようと思ってることは分かっているとしてもね。間違っているとは思わないけど、それが容堂公の意志なら従おう、と思うのが武士ってもんだし、そういう覚悟は武士なら持っているのが当然だけど、容堂公の意志を思うことはなく、単に武市さんについていった勤王党の彼等に同じ覚悟を求めるには忍びない、彼等をそんな目に遭わせるつもりはなかった、っていうのが武市さんの揺らぎの理由だと思うんだ。でもそんなの、ついていった彼等の問題だから武市さんが気にすることないんだよ。
武市さんの本質って、上士に連れていかれた龍馬のために、雨の中を走った#1の頃から変わってないと思うんだよね。しっかり者のおにいちゃんがデフォだからいつでも周り中の人間に起こってることに過剰に反応して、頑張り過ぎた結果が勤王党だと思う。だからって今さらそんな生き方を変えることなんかできない。世の中が自分のしたことを間違っていると思うなら、自分はせめて彼等の恨みを引き受けよう、というのが今の武市さんの気持ちなんじゃないかな。
んでまあ以蔵は……。元々そういう意味で“覚悟”を決めてやってた子ではないんだし、「捕まりたくない」以外のことは考えてないのはしょうがないよな。出番はちょびっとだったけど、武市さんというよりどころをなくして逃げまどうだけの現状がセツナイ。つっか新撰組には隊だってあるのに、スリートップで捕り物なんて危ないですよ近藤さんw。
冨さん(奥貫薫)と武市さんの別れのシーンも良かったし、悲劇の幕切れが近付くことを暗示する面白い回じゃと思う。