龍馬伝/第24話「愛の蛍」

http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/index.html
演出:梶原登城
1864年。龍馬29才、以蔵26才、武市33才、弥太郎30才、桂小五郎31才、久坂25才(生年より単純計算)
なんかお気に入りのドラマの脚本の出来が悪いと、一種言葉にし難いダメージがあるなあ。今週のはなしは武市半平太大森南朋)の逸話としては定番の有名なはなしだけど、逸話として“いいはなし”なのとドラマとしていいはなしなのは問題が別っていうか、妻にできなければ家のために外に子供を作るのも当然の時代にそれをしなかったと聞かされるより(そもそもそれ、今の感覚だと当然のことだしw)、今まで見せられてきたなんでもない夫婦のシーンの方が雄弁にあの夫婦の絆を語ってるじゃん。第一武市さんが乙女(寺山しのぶ)を相手にしなかったのは、友達の姉だってこと以上にタイプじゃなかったからだと思うぞw。
でもそれ以外のシーンはほんと良かったというか、やっぱ梶原さんの演出は好きだよ。脚本もあのエピソード部分以外は普通なんだよね。先週見せなかった池田屋でのシーンを、今週見せるやり方もかっこ良かったし。
んで今週お龍(真木よう子)が亀弥太(音尾琢真)のことをほめてやれって言ってたけど、あれって武市さんのシーンに対応するはなしだよね。
龍馬(福山雅治)が幼なじみの死を悲しむのは勝手だけど、亀弥太は侍としての本懐を遂げたんだからさ。同じように人としての武市さんが幼なじみの以蔵(佐藤健)の思慕を利用したことを後悔して、悲鳴を聞くことに堪え難い思いでいたとしても、武士としての武市さんは東洋(田中泯)を排除することを大殿様のためと信じたことを否定するわけにはいかない。それをすることは武市さんを信じた勤王党員−−今責められている者はもとより、武市が罪を認めたらさらに捕縛されるであろう者たちも−−に、「お前たちのしたことは無駄だ」って言うことになるから。
武市さんがそう思った気持ちを、武士の身分を捨てて商売やってる弥太郎(香川照之)に否定される筋合いはないよな。たとえそれで儲けて家族に平穏な生活をさせている弥太郎の方が人として真っ当だとしても、藩のため国のために身を捨てて信念を貫く武市さんたちを、弥太郎が否定するのは間違っている。人として情の部分で繋がっていた以蔵や富さんにつらい思いをさせていることを詫びることと、武士としての生き方を自ら否定することは、問題が全然別なんだよね。
そして富さん(奥貫薫)は妻として自分が愛されていたことを知っていると同時に、武市さんがどんな思いで武士としての生き方を貫くつもりなのか知ってるんだからさ。それがつらいことなのはもちろんだけど、他人が同情するのは違うと思う。
それでも「帰ってきたら」と口にするのは、もう願いっつーより祈りだよね。帰ってくるわけないのは分かっていても、それを口にしたら心が折れちゃうっていうさ。
以蔵は今週も美人でした。傷メイクでも無精髭でも可愛いよタケるん! そんな以蔵をいたぶる象二郎(青木崇高)のいやらしさったらさー。志も理念もなく、ただ武市さんのために耐える無垢が踏みにじられる悲惨。願わくば牢に倒れる以蔵のところに蛍のワンショット(龍馬にじゃなくて!)というのは贅沢ってもんですね。ごめんよ強欲で。
富さんが和助(小市慢太郎)に託して蛍を届けるのは奇麗だったから良いや。龍馬のはなしは今週もむかつくだけだったけど。小五郎(谷原章介)が「無駄にしない」という視点をくれたのはありがたかったが。
しかし今週も新撰組はかっこ良かったよ。むしろ毎週どんどんかっこ良くなるよ。このおそろしい新撰組を見せる上で、沖田(栩原楽人)の花のような笑顔はぜひ見たいけどなあ。